山梨県笛吹市一宮町。
「日本一の桃の里」と呼ばれるこの町で、祖父が桃作りを始めたのは今から約80年前。
まだこの町では養蚕が主流で、辺り一面に桑畑が広がっていたそうです。
静岡県からの移住者であった私たちの先祖は、十分な土地を持っておらず、稲作や養蚕では十分な収入が得られない状況が続いていたそうです。
そんな中、私たちの祖父は小学校6年生の頃に父を亡くしました。そこで、祖父は母と弟妹の生活を守るために、ある決断をしました。
「この町で桃を作ろう」
桃作りが伝わって間もない頃であり、当然、栽培技術などは確立されていなかったようです。
ですが「限られた土地で家族を養うには桃作りだ」と決意を固め、乾坤一擲。
文字通り、命運をかけた挑戦を始めました。
多くの苦労があったはずです。しかし、豊かな自然に恵まれたこの町は「果樹栽培」に最適であり、やがてこの町のほとんどの農家が「桃と葡萄」を育てる果樹農家になりました。
いつしか「日本一の桃の里」と呼ばれるまでになりました。
祖父にはこんな口癖がありました。
「俺たちは、日本一美味しい桃を育てているんだ。一宮の桃が日本一だ。」
この町で育てている桃に、誇りを持っていました。
祖父は、そんな誇りを胸に80年もの間、桃を育ててきました。
90歳を過ぎ、身体が言うことを聞かなくなってからも、杖をつきながら畑に通っていました。
「おじいちゃんの畑をどうしようか。」
多くの農家の方が、後継問題に直面するように、私たち家族も悩みました。
農業が甘い世界ではない事は、祖父の姿を間近で見て、手伝ってきたからこそ理解していました。
ですが、今まで私たち家族をたくさんの愛情で包み込んでくれていた祖父への恩返しの気持ちを込めて
「祖父が大切にしてきたこの畑をこれからも守っていこう。」そう決めました。
一宮の桃が日本一だ。と言っていた、祖父の「プライド」を忘れずに、
「口に入れた瞬間に、思わず笑顔になる果実」を育てていきます。
そして、農業の魅力を世の中に広げていけるよう、
「農業の新たな価値を創造」していきたいと思います。
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